長崎ランニングコース:住吉神社&三菱兵器住吉トンネル工場(跡)他
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今回は通院のため、住吉まで行ってきたので、住吉神社&三菱兵器住吉トンネル工場(跡)等もついでに廻ってきました。
コース
・気温7℃、晴れ。無風。
先週末に比べると気温が上がってきた。
・シューズ:NIKE インヴィンシブル 3
(新しい方)
・ルート:松山→病院→住吉神社→三菱兵器住吉トンネル工場(跡)→原爆救援列車運行の地→長崎駅→プラットモール(浜口)
・距離:10.77キロ
松山から住吉方面へ北上、住吉から長崎駅方面へ南下、松山方面へ再び北上。
住吉神社
松山から国道206号沿いを北上して住吉方面へ。
チトセピアの横の病院で右手人差し指の治療をしてもらいました。
ハイドロコロイド絆創膏を貼って処置してもらった。
そこから直ぐ近くの場所に住吉神社がありました。
1935年(昭和10年)1月に「住吉神社」さんに建立された、神社守護と魔よけのための狛犬様の左足が欠けています。
場所は「住吉」電停下車徒歩1分ほどのところにあり、階段下に1943年(昭和18年)10月に建立された鳥居があります。
三菱兵器住吉トンネル工場(跡)
住吉神社から回り込んで坂を登ると、デイリーが見えてきて、その前に三菱兵器住吉トンネル工場(跡)の看板があります。
階段を下ると見えてきます。
実際に製作されたサイズの魚雷が展示されています。
三菱兵器住吉トンネル工場は、第二次世界大戦末期に三菱重工業長崎兵器製作所の疎開工場として建設されました。
住吉から赤迫にかけての山中に6本のトンネルが掘られ、魚雷部品の製造が行われていました。
1945年8月9日の長崎への原爆投下時、約1,800人の工員や動員学徒が従事しており、トンネル内は避難場所としても機能しました。
現在、1号トンネルと2号トンネルが整備され、外側から内部を見学できるようになっています。
原爆救援列車運行の地
住吉地区から南下して長崎駅に向かいます。
途中に原爆救援列車運行の地があったので立ち寄りました。
↓三芳町のファミリーマート付近
長崎市では、1945年8月9日の原子爆弾投下直後、負傷者を救護・搬送するための「原爆救援列車」が運行されました。
これらの列車は、主に現在のJR長与駅や道ノ尾駅を拠点として出発し、諫早や大村、川棚の各海軍病院へ負傷者を輸送しました。
当日は計4本の救援列車が運行され、約3,500人の負傷者が搬送されたとされています。
長崎駅
あとは松山陸上競技場を通過して長崎駅まで向かいました。
「ピクミンフェスタin長崎」が1月18日(土)、19日(日)に開催されるようで、アミュプラザの時計がピクミン仕様に変わっていました。
その後はプラットモール(松山)まで戻ってゴールです。
まとめ
今回は、松山から北のコースを走ってみました。
長崎の観光スポットは平和公園から南側がメインですが、北にも隠れた観光スポットがあるので、訪れてみてはどうでしょうか?
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